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每日天声人语分享:2019年8月12日

日语Catti与考研  · 公众号  ·  · 2019-08-12 23:10

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うつせみの季節

空蝉的季节

何にでも値がつくのが市場経済であるならば、とくに驚くことではないかもしれない。フリーマーケットアプリのメルカリで、セミの抜け殻が出品されていた。90体で1100円などの品は、自由研究にでも使われるのだろうか▼

在手机自由市场软件Mercari中有出售蝉蜕的,这在任何东西都明码标价的市场经济中,似乎并没有什么好惊奇的。标价1100日元的90个蝉蜕,或许是有人用这些来做自由研究吧。

抜け殻と言うと物質そのものだが、「空蝉(うつせみ)」と言い直すと、命の名残があるような気がする。近所を歩いていて、コンクリートの擁壁にしがみつく空蝉をいくつも見た。旅立ちの場所は樹木でなくとも構わない、そんなたくましさがある▼

如果说“蝉蜕”的话仅仅表示一种物质,但要换一种说法,叫“空蝉”的话,就感觉像是有种生命痕迹的残留。经过家附近的时候,发现了几只紧紧攀附在混凝土防护墙上的空蝉。羽化之地就算不是树木也无妨,蝉就是这般刚健顽强。

空蝉に生命の力を見て取り、詠まれた句は少なくない。〈空蝉のいづれも力抜かずゐる〉阿部みどり女。役割がすんだはずの抜け殻なのに、筋力さらには視力すら感じてしまう。〈空蝉の脚の確かさ眼の確かさ〉後藤比奈夫▼

许多人感受到了空蝉中蕴含的生命力,吟咏了许多相关俳句。“金蝉虽羽化,蝉蜕力犹在”--阿部绿女。明明是已经结束使命的蝉蜕,却能够感受得到其中的力量,甚至是视力:蝉蜕留空蝉,腿与眼却依稀见。--后藤比奈夫。

長梅雨のせいだろうか、セミが鳴き始めるのは昨年よりだいぶ遅かった。セミたちにとっては待ちに待ったお日さまであり、暑さであろう。殻を脱いだばかりのセミが多いかと思うと、鳴き声にも元気があるような▼

或许是今年的梅雨季时间长了一些,蝉鸣开始的时间较去年晚了不少。蝉们一直等待阳光和暑热。我本以为会有很多刚刚脱壳的蝉,但是蝉鸣中却透着一股旺盛的生命力。

お盆の帰省の時分である。自分が脱いできた殻を振り返る、そんな時間を過ごすのもいいかもしれない。親子で友人で自然と昔の話になる。実家に残した本を手に取れば、あの頃考えていたこと、悩んでいたこともよみがえるか▼

现在是盂兰盆节人们返乡的时节。趁这个时候回首自己褪去的壳也是不错的。与父母、友人在一起自然地谈论起过往,或是拿起一本老家的书,回忆当时的所思所惑。

〈空蝉のなほ苦しみを負ふかたち〉鷹羽狩行。悩みや苦しみから抜け出して、一歩前に進む。脱皮の言葉はいま、比喩として使われる方が多いだろう。人がセミと違うのは、何度でも殻を破れることだ。

空蝉,是曾经背负的苦痛的证据。--鹰羽狩行。从烦恼与痛苦中挣脱,大步向前迈去--或许蝉蜕这个词被很多人用作其比喻义吧。人与蝉不同之处,就在于人能够经历多次的蜕变。

翻译:アズキ

编辑:铃铛







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